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厄年ですが、厄除けや厄払いはしていますか?

 人の一生の中で、何歳の前後には災いが起こりやすいので、忌み慎むとされるのが厄年で、はじめて言われ出したのは、平安時代に遡るそうです。皆さんが「節分」として豆まきをする行事も、もとは「追儺(ついな)」という宮中の厄除け行事からきたものです。厄年にあたる年は、体力的にも、また家庭や社会環境が転機を迎えやすいタイミングであるとして、厄払いの祈祷を勧めるお寺や神社もあります。
 浄土真宗に「厄」という考え方はありません。ですから、厄年に注意したり、厄除けをしたりする必要もありません。また、日常で申しあげれば、いい日、悪い日、いい方角、悪い方角などという考え方もありません。
 よい日になるか悪い日になるかは、すべて自分自身の行い次第です。たとえば重い病気になったとします。そんなときは、「このままずっと続いていくと思っていた日常が終わるかもしれない」、「健康には人一倍気をつかってきたはずなのに、どうして」などと自問自答してしまうのではないでしょうか。そして、「今年は厄年だった」と思い当たり、厄年だから病気になったのだと考えてしまうこともあるでしょう。しかし、病気や死に向き合うことではじめて見えてくることもあります。たとえば、病気で余命宣告された方の中には、その後、世界が変わって見えたという方がいらっしゃいます。ありふれた日常や、あらゆるものが当たり前ではないことに気づき、きらきらと輝いて見えたといいます。この方にとっては、病気は悪いことだけとはいえないのではないでしょうか。
 阿弥陀さまは、すべてのものがことごとく金色に輝かないのであれば、私はさとりを開くことはない(「悉皆金(しっかいこんじき)色の願」)と誓われ、さとりを成就されました。すべてのものが、あるがままにそのままで金色に輝いて見えるのです。「厄年」というような、この年は災いが多く暗く希望が持てない、ということはあり得ないのです。私たちの価値判断で、阿弥陀さまが見るその人の輝きが左右されることはありません。あるとしたら、それは私たちの煩悩がその輝きを曇らせてしまっているということでしょう。ですから、何のご心配もありません。もし、気になるようでしたら、厄の年には、十分、精進して気をつけるように、生活を心がけてください。安心したからといって、無茶な生活をしていれば、当然、その結果は、悪い方向に向かってしまうことでしょう。

 浄土真宗の教えは、いつでも、どこでも、どんなときでも、仏様は私たちを見守り続けてくださる教えです。ですから、そのような、占いや呪い迷信などの一切から、開放される教えなのです。

 「何もしなくて良いんだ」と思われた方はそのままで、「頭では分かっているけれど・・」と思った方もおられると思います。気にされるのでしたら、強制は致しません。厄払いをしましょう。

仏教がお伝えしているメッセージは、

 与えられた命を 感謝して ハッピーに 生きること!

ですから。
 厄を気にされる方に対しても、当山では健やかな生活を願って、心を込めてお勤めさせて頂きます野で、お気軽にご相談下さい。

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